マリオ64やマリオサンシャインは思い出補正ゲーだと思ってたけど実は自分のゲームへのスタンスが変わっていた

どうもオタマリです。

 

最近マリオ熱が高まり、買ったはいいものの、棚の奥にずっとしまっていた3Dマリオコレクションを引っ張り出して神ゲーと名高いマリオ64やサンシャインをプレイしてみたのですが、思ったより神ゲーじゃねえな、むしろ最近の高難度アクションを思い出させると思いました。

 

理由説明するとマリオ64は現在の3Dアクションと比べると、非常に操作性やカメラが悪く、しょうもないミスを繰り返しがち、マリオサンシャインは単純に初見殺しの高難度や、理不尽なアイテムの隠し場所など当時は何故あんな楽しい思いでこのゲームをやっていたのか不思議なくらいのイラつき要素満載のゲームでした。

 

子供時代の思い出補正なんかなぁ…と悲しくなりつつなんだかんだ楽しんで完クリしました。

 

でも流石に思い出補正として美化されすぎだと思って色々考えた結果、一つの答えを導き出しました。

 

多分、子供の頃と大人の俺ではゲームへの向き合い方が違うからこんな感想に差が出るんじゃないかと。

 

まず現在の俺のゲームへのスタンスはクリアすること優先、ゲーム側が用意した課題を可能な限りクリアして要素コンプリートを目指します。

 

子供の頃と言えばクリアなんて関係なく、好きなように遊んでいました。

 

この二つの違いはかなり重要で、大人の俺はクリアに手間がかかる課題にクリアできるまで張り付くので、その過程でイラつき、更に細かな理不尽操作性などで更にイラつきます。

 

子供の頃はクリアに手間がかかる課題はある程度チャレンジして、クリアできないと悟ったら別の課題へ、その課題も無理だと悟ったら別の課題へを繰り返し続け、最終的に楽しくクリアできる課題ばかり反復してやっていました。

 

大人になったらボムキングボスパックンと戦うなんて必要最低限しかやらないけど、多分子供の頃は飽きるまで繰り返しボムキングボスパックンを虐殺して遊んでいました。

 

この違いが操作性や難易度に過度にイラつかず、このゲーを神ゲー認定している物の正体だと思いました。

 

そりゃ楽しいことばっかりやってたら操作性や理不尽難易度ステージなんて気にならず、当時の革新的な技術だけ見えるから神ゲーになっちゃうよね。

 

大人の世界は楽しいことばかりやってられず、理不尽な苦しみを味わわなきゃいけないけど、子供の頃は楽しいことばっかり選べるから、世界が輝いて見えるってことだよね。

 

なんでゲームしてるだけで、世界の理をわかったような気になってこんな悲しい思いをしなきゃいけないのかと思うオタマリでした。

 

終わり。